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keigo 思いつき

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2005年 01月 06日

Honda創業者 本田宗一郎の小話

本田技研の創業者、本田宗一郎氏が技術支援の為に、
台湾と韓国へ技術支援に行きました。




しばらくして台湾から、

「日本と同じものが作れるようになりました。是非見に来てください!」

と連絡が入りました。

本田は技術支援をした甲斐があったと大変喜びました。




そしてしばらくして韓国からも連絡が。

「日本と同じものが作れるようになりました。もう来なくてもいいです。」

本田は落胆しました。




それから間も無く、
韓国は本田とのライセンス契約を一方的に解消し、
エンジンからデザインまで全くのコピー品を”韓国ブランド”
として販売を始めました。




本田宗一郎氏は大変失望してこう話したそうです。

「韓国とは絶対に関わるな」




これは小話ですが、実際、戦後からつい最近に至るまで、
経営者の中には、日本が戦前戦中を通じて、
中国朝鮮にひどい事をしたんだという思いを持つ人が多く
個人的に贖罪しなければならないという気持ちで、
無償かそれに近い形で、中国韓国に技術指導や製造機械の
譲渡などを行ったという話がよくあります。

厚木ナイロンや松下電器、三洋電機の経営トップが同様の
話をしている事が報道されていた事もありました。

現在では経営と資本が分離されて、経営のトップといえど
も企業に損害を与える行為をすれば、株主代表訴訟などで
責任を追及される事になるでしょうが、1900年代には
まだ経営と資本の分離が明確でなく経営トップの個人的
心情や信念で会社の利益の源泉である核心技術を簡単に
将来のライバルになるであろうという考えもなく中国や
韓国に渡してしまう事があったようです。

日本企業では技術自体が財産であるという知的所有権の考
え方が理解されるのが欧米に比べてかなり遅かったという
事もあるのでしょう。

by keigo245 | 2005-01-06 17:51


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