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keigo 思いつき

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2004年 11月 12日

朝鮮の民話、昔話



昔、朝鮮の人間はよく他の人間を捕まえて食べた。

其れはお互いが牛に見えるからだった。

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ある人が、やはり間違えて自分の兄弟を食べてしまった。

つくづく嫌になったその人は、人間が人間に見えるまともな国を求めて旅に出た。

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長い旅を続け、ようやく人間と牛の見境がついて、
人間同士が仲むつまじく暮らしている国を見つけた。

その国では、ネギと言うものを食べるようになってから、
人間が人間に見えるようになったと言う事だった。

その話を聞いて、その人はネギの種をわけてもらい、故郷へ帰った。

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故郷に帰って畑にネギの種を蒔き終わってから、
その人は懐かしい友人の家を訪ねた。

ところがみんなにはその人が牛に見えたので、寄ってたかって捕まえられ、
食べられてしまった。

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それからしばらくして、その人の畑の隅に、見た事の無い青い草が生えてきた。

人々はそれを食べるようになった。

すると人間がちゃんと人間に見えるようになった。

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朝鮮に最初にネギを植えた人は誰からも礼を言われず、食べられてしまった。

しかしその人の残したネギは大勢の人を幸せにしたのだった。


# by keigo245 | 2004-11-12 00:29
2004年 11月 10日

日本に移民は必要ない1

日本は出生率が低下して労働人口が減少する。
医療、社会保障費が増大する反面、保険、年金、税の負担者が
減少するから不足分を移民で補うべき。

と言う議論があるように思いますが其れについてどう思われますか?

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私は移民によって日本社会が抱える諸問題解決は出来ないと考えます。

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問題点1ー移民で出生率の減少を補う事は出来ない

出生率の減少は日本人の生殖能力に問題があるのではなく、
日本社会の環境(託児所の不足、育児に対する収入の保証や社会の理解の不足など)
が多産を阻んでいるのであり、移民も日本社会で生活すれば日本人と
同様の環境に置かれる。つまり母国では多産の習慣があっても日本では
日本人同様少子化になる。

つまり仮に20〜30歳代の若い移民を受け入れても、
移民第一世代が高齢化する40年後には第2世代は日本人と同様
少子化になり、かえって移民を受け入れた事で、
老齢人口増加、社会保障費負担増加に拍車をかける事になる。

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問題点2−移民を低賃金で雇用できるのか?

移民を国内で低賃金で雇用できれば、国内産業の輸出競争力を維持出来る。
と言う議論があるようですが、

移民を低賃金で雇用すれば、同じ業種の日本人の賃金低下を招く。
結果、移民と日本人の単純労働者が貧民層を形成する事になる。

日本の産業の強さの秘訣は総中流と言われる、1億2000万人分の
国内市場がある事であると言えます。

仮に3分の1程度が貧民層になれば労働人口は現状を維持できても、
国内市場は8千万人程度に縮小し、国内市場規模の縮小で、
現状の国内産業の規模を維持出来ない事になるでしょう。

移民を低賃金で雇用して、輸出競争力を維持出来ても、
国内市場を縮小すれば、むしろ日本の産業の弱体化になる。

つまり日本の競争力を維持するためには、移民も日本人と同等の賃金で雇用し、
国内の消費市場規模を維持する必要があると言う事です。

そうであれば問題点2の答えはノーになります。

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問題点3ー移民で日本の競争力を維持する事は出来ない

日下部公人氏の著書に日本の産業競争力の強さの秘密は、車でも家電製品でも
日本人は工業製品を作るのでなく美術品を作るように洗練された
製品を作り出す力があるからだ。と有ります。

では何故一介の町工場の労働者にまで、日本人であれば其れが出来るのか?

其れは私たち日本人が生まれ育った社会に自然に人間をそういう風に育てる、
歴史や文化や伝統が有ったからでしょう。

そして日本人であればその歴史や文化や伝統化が育んだ価値観を
自然に共有する事が出来るからです。

移民第一世代には其れが有りません。
なぜなら彼らには彼ら独自の歴史や伝統や文化が有り
其れによって作られた日本人とは全く別の価値観が有るからです。

そしてもし移民の第2世代以降も現在の在日韓国朝鮮人のように、
自らの母国の民族性の維持に固執し、日本的価値観を拒否すれば、
同じ社会で生活しても、価値観の共有は出来ません。

つまり、移民では日本の産業の強さの特色を発揮する事は出来ないのです。

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私は移民を推進する勢力の意図は真に日本の国益のためとは思えません。

移民を推進しようとするのは日本国内に移民を増やし日本人を相対的に減らす事で
権益の拡大をもくろむ既存の在日外国人か、日本に敵意を抱く反日勢力のような気がします。

彼ら反日勢力は、日本を弱体化させたい。しかしなかなか思うようにならない。
何故そうならないのか?

彼らは、その原因である日本の強さの秘密が日本人の同質性均一性に有る事を分かっている。

そこで移民によって異文化異民族による内圧を高め、日本の強さの根源である
日本人の同質性均一性を移民によって打ち壊そうとしている。

こう思えます。


# by keigo245 | 2004-11-10 02:21
2004年 11月 03日

日本が台湾と東南アジアを選択すべき理由

日本が韓国より台湾を選択すべき理由

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文化的共通性

日本ー農耕漁労文化

中国韓国ー畑作牧畜文化

台湾東南アジアー農耕漁労文化

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北東アジア共同体の問題点

中朝韓が畑作牧畜文化圏国家で日本だけが農耕漁労文化圏国家

東アジア海洋諸国連合(日台東南アジア)

全ての国が農耕漁労文化

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畑作牧畜文化の特徴

自然との対立支配の文化
ー森林を破壊し木を燃やしてパンを焼き羊を飼うための牧草地にする

農耕漁労文化の特徴

森林崇拝、自然との共存共生の文化
ー森林は水稲の水の供給源として守り崇拝する

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国家間の共同体を成功させる一番のポイントは価値観の共有

例ーEUーキリスト教、共通の価値観

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分かりやすい例

台湾と韓国は日本に併合された共通の歴史を持っているが
台湾は日本を評価し韓国は日本を断罪する

台湾が日本を評価するのは日本が水利や植林をしたから。水稲を中心とする農耕漁労文化にとって森を守り水を豊かにするのは最も評価すべき価値がある事。

一方韓国は畑作牧畜文化であるので森や森のもたらす水に価値を見いださない。
よって日本が行った水利事業や植林事業を評価しない。

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日本が中国や韓国と協力してく事は価値観の相違から難しい。
一方台湾や東南アジア諸国とは価値観、共存共栄の理念を共有できる。




# by keigo245 | 2004-11-03 02:11
2004年 10月 07日

『日本帝国の申し子 』 カーター・J・エッカート著

…日本人の農地所有は、ピーク時でさえも総面積の25%を超えることはなかったようだ。また、、日本人による土地の買い占めは、必ずしも朝鮮人地主の土地を減らしたわけではない。日本人の手に渡った民有地の多くは、貧しい自作農や自小作農のものであり、裕福な地主の物ではなかった。

さらに日本人が手に入れた土地の多くは国有地(または王室の所有地)であって民有地ではなかった。たとえば東洋拓殖会社の所有地の多くは、王室や中央政府から直接手に入れた土地と、1910年以降に朝鮮総督府を通じて手に入れた未開墾の森林や荒野である。

…この時代の地所管理、すなわち小作地管理とは小作人から最大限の搾取をおこない、できるだけ多くの小作料を取り立てることだったからである。のちに朝鮮総督府は米価の高騰を抑える政策として、灌漑や開墾に大規模な資金援助をおこない、米の増産を図ろうとするのだが、その時初めて金一族は農地改良や農事改良によって生産性を上げることに関心を示した。

つまり、1920年代半ばまでは、もっぱら小作人を締め付けて最大限の小作料を搾りとることに専念していたようである。

…このように朝鮮人は1919年の時点ですでに企業投資の概念についての知識は持っていた。しかし、投資するほどの資産を持っていた人々(大部分が地主や港湾都市などの都市部に住む商人)は、卓越した投資物件であった土地にそれまでと変わりなく金をそそぎこんでいた。

また、土地への投資があまり労力を必要としない仕事だったことにも注目しなければならない。進取の気性に乏しい地主であっても、ただ小作料を集めるだけで高収入が保証され、その取り立てすらも管理人にまかされるのが普通だった。小作料は収穫高30〜90%、平均50%前後という高率だった。

小作人は細切れの土地を与えられ、ひどい扱いを受けていた。何らかの理由で小作料が払えない場合は、すぐに別の小作人に土地がまわされてしまう事も多かった。地税の支払いにしても法律上は地主の義務のはずだが小作人が負担することが普通になっていた。

# by keigo245 | 2004-10-07 20:53 | 未分類
2004年 10月 07日

 韓国人教授 の歴史観

「古代日本文化は我々の祖先、韓民族が築き上げたのである。従って今日の経済発展を遂げた日本文化のベースは、我々の祖先によって作られたものである。」これは1995年7月に放映された、日本の古代文化を特集した韓国のTV番組で、最後を締め括ったナレーターの言葉である。

私が習った1970年代の韓国の高等学校 国史の教科書にも次のようにある。

「豊臣秀吉の侵略軍を韓国が打ち破ったのは、人的にも資材(兵器など)の上からも、韓国人が いかに日本人よりも頭脳的に優れていたかを物語っている。また、侵略によって韓国から たくさんの文物や人材を略奪していったことによって、東南アジアの後進国であった日本は、大きな発展を遂げることができたのである。」

・・・古代、韓国は、未だ未開の地だった日本に高度な文明を「伝えてあげた」、中世、「東南アジアの後進国」日本は その恩を忘れて朝鮮を侵略し、文物や人材を略奪した、そのため日本は近現代に大きく発展することができたのだ・・・

こんな子供騙しのような歴史観が戦後の韓国では国民の常識として まかり通ってきた。劣等感を裏返しにした、哀しいまでの対日本民族 優越主義に彩られている。(略)



(略)朝鮮は開国直後から、日本へ使節・留学生・視察団などを活発に派遣し始める。開化派官僚たちが続々と日本に渡り、日本の近代化と富国強兵政策が効果的に進行している様子を目の当たりにする。(略)

しかしながら、国内の独立への動きを朝鮮王朝は執拗に摘み取っていった。そして、日本が日清戦争に勝利して朝鮮の独立が達成されると、後ろ盾の中国を失った朝鮮は、日本と提携してロシアの侵出を排除しようとするのではなく、逆にロシアの保護下に入って日本を排除しようとの動きに出る。

ロシアに ここを突破されれば、日本はロシアと直接 対峙しなければならなくなる。ロシアが朝鮮と国境を接する満州の占領を完了した段階で、日本はロシアと戦端を開いて勝利する。(略)

頑迷に中国への臣従を守り、独立を拒んでいた朝鮮は、日本によって、延々たる中国による属国支配を脱して独立国となった。独立朝鮮は独立の意義を自ら辱めてロシアの保護下に入ろうとしたが成らず、自力では独立を確保しがたいと日本に判断され、日本の統治下で、近代化への道を歩むことになった。(略)

韓国の学者たちは通常、韓国は1875年以来、日本と「70年戦争」を戦ったと主張する。その70年とは、日本による江華島砲撃に始まり、日朝修好条約、日清戦争、日露戦争、日韓議定書、第一次~三次 日韓協約と続いて、日韓併合条約が締結され、34年11ヶ月にわたる植民地支配が1945年8月に終わるまでの70年間である。

その全期間を、日本がしかけた侵略戦争に対する反-侵略戦争の歴史と位置づけるのである。

北朝鮮でも これと全く同じ考えをしている。日韓の研究者たちによる「日韓合同 歴史教科書 研究会」などでは、しきりに この「70年戦争史観」が、日本人研究者に対して ぶつけられる。こんな歴史理解を韓国や北朝鮮の反日知識人 以外の いったい誰がしているだろうか。

旧態依然のロシア・マルクス主義者ならば、あるいは・・・とも思われる。しかし「70年戦争史観」を唱える韓国の研究者たちは、なんらマルクス主義者ではなく反日.民族主義者であり、当然ながら唯物史観など持ち合わせているわけも無いのである。

反日.民族主義は、レーニンに始まる帝国主義戦争の考え方を密輸入しているのだ。(略)

韓国人は、一体どのように歴史を学んでいたのだろうか。私の受けた歴史教育の体験から言えば、歴史そのものよりは、たった一つの歴史についての 観点を学んだのである。それは、弱者に貶められた怨恨・遺恨を身内正義・絶対善の立場から描いていこうとする歴史の観点に 他ならない。

生徒たちは、この観点で歪曲を施された虚偽の歴史を正史として教わるのだ。

(産経新聞 04/10/05、06)

# by keigo245 | 2004-10-07 13:33 | 未分類